【アメリカ外交】アメリカの戦争依存症についての率直な話

アメリカの戦争依存症についての率直な話

2023年2月18日付のニューヨーク・タイムズに「アメリカの戦争依存症についての率直な話」と題するオピニオン記事が掲載されていました。

Straight Talk on the Country’s War Addiction (The New York Times, Feb. 18, 2023) By Mark Hannah (Senor Fellow at the Eurasia Group Foundation)

寄稿者はユーラシア・グループ・ファンデーションでアメリカの外交政策を研究しているマーク・ハンナという研究者です。

ワシントンD.C.に留学中、教授やクラスメイトが「力による平和」やアメリカの軍事的優位の重要性を唱えるのを聞きながら、理解できる部分もありつつも、しかし、「ベトナムはどうだったんだ?」「アフガニスタンは?」「イラクは?」「アイゼンハワーは軍産複合体に気をつけろと言ったはずだ」などと独り言ちたりもしていました。

そういう訳で、上記のようなテーマの記事や論考を目にすると(それが米国人によって書かれたものであればなおさら)、どんなことが書いてあるのかと気になり、辞書を引き引きついつい読んでしまうことになるのです。

では、以下に記事を抄訳しながら、そのポイントを紹介してみたいと思います。

今日の地政学的なチャレンジを過去のそれと結びつける流れ

・ワシントンの多くの人びとは、世界におけるアメリカの役割に関して新しいビジョンを持たず、今日の地政学的なチャレンジを過去の時代のそれと結び付けている。

・彼らは中国を新たなソビエト連邦の登場として捉え、そのハイテクを利用した軍事的進化をスプートニクの脅威として受け止めらているのだ。

・ウクライナへの支援でアメリカのミサイルとロケットの在庫が減少する中、米国は再び「民主主義の武器となって、自由で開かれたリベラルな秩序を強化せよ」と求める声が広がっている。

・ファシズムと共産主義に対するアメリカの苦闘の数々を呼び起こすことはレトリックの上で有益かもしれない。それが経済的なダイナミズムや目的の共有、愛国精神の涵養の時代を思い起こさせるからだ。

戦争を経済的・政治的な問題の解決の道とするのは誤り

・しかし過去を単純化して解釈することはアメリカ社会に対する戦争の影響を美化することになりがちだ。戦争をアメリカの経済的・政治的な問題の解決の道とするのは危険なことだ。

・タカ派の考えはアメリカの戦争依存を悪化させるだけだ。台湾やスパイ・バルーンをめぐって中国との緊張は高まるばかりだ。ウクライナ戦争は2年目に入り終わりが見えない。しかし、アメリカの軍事力の限界を意識するバイデンはウクライナ支援や中国に対して慎重な姿勢を崩さず、アフガニスタンの国家建設も断念した。

・しかし、中国との新冷戦、ロシアとの代理戦争の様相を呈す戦争のエスカレーション、イランへの最大の圧力を求めるワシントンの外交政策に関わる一団の合唱が弱まることはない。

・しかし、もはや経済が戦時産業によって活性化することはない。戦争が自主的な志願兵による小さな部隊によって戦われ、税金や戦時国債ではなく金融機関や外国政府から調達した資金によって遂行される時、戦争の大義に関する大衆の高揚は得られない。

戦争が国民の統合をもたらすという神話

戦争が国民の統合をもたらすという神話は、ピューリッツァー賞を受賞したグレッグ・グランディンの著書『The End of the Myth』の考察によって崩れ去っている。

・アメリカ独立戦争後のネイティブアメリカン制圧のための西部フロンティアでの戦争や米西戦争、第一次世界大戦はいずれも、分断していた南北の融合と国民の統合を目的として戦われた側面があったが、そうしたアメリカの分断は解消されたわけではなかった。

・第二次世界大戦によってアメリカは経済的な潜在力を引き出し大恐慌から抜け出すことができたのか? 共産主義の脅威との戦いであった冷戦は国民の統合とテクノロジーの進化を生み出したのか? 

・それらが事実であった面もあるが、不都合な真実を見過ごしている。アメリカの第二次世界大戦への参戦は自由世界を救うという願望が広く共有されていたからではなく、その主な動機は復讐に基づくものであった。

・第二次世界大戦はアメリカを工業化することに貢献したが、多くのアメリカ国民を欠乏の状態に置いた。冷戦期のアメリカ社会の一体化という広く共有されている神話は人種差別や共産主義者の排斥を都合よく消し去っている。

・そして、9・11事件後にアメリカ国民が感じた国民の一体感はイラクとアフガニスタンの悲惨な戦争を通じて持続することはなかった。

1990年代の繁栄の要因

・1990年代は、国の安全保障に関わる誤った不安感やグローバルな軍事行動を取り除くことで繁栄と政治的歩み寄りがもたらされることをはっきりと示した。大規模な紛争へのアメリカの関与は制限され、クリントン政権の主要な外交目標は貿易の促進であった。

若い世代は平和と引き換えにした繁栄を望んでいない

・防衛産業の契約者たちは軍事支出によって商業活動と雇用が生まれると主張するかもしれない。数十年に及ぶ過剰に軍事化された外交政策を受け、アメリカ国民は防衛予算を使って経済成長を図ろうすることに慎重であるべきだ。

・若い世代は平和と引き換えに繁栄を得る必要性を感じていない。私の組織の調査では、30歳以下のアメリカの大人世代の多数はより小さな防衛予算を支持している。

賢明とは言えない戦争に費やされてきた国民の信頼と資源

・アメリカの民主主義がぜい弱で経済的な流れが不安定である今、たとえそれが作り話であってもパックス・アメリカーナのインスピレーションを求める者があるとすれば理解できなくはない。

・また、新しい国際政治の時代を理解するための新たな方策を取らず、政策決定者たちが古いやり方に戻ることになりがちなことも理解できないわけではない。すなわち、武力紛争のコストを低く見積もり、利益を喧伝するという行動に逆戻りするかもしれないということだ。

・しかし、戦時体制が民主主義の後退や経済的な停滞を改善するという考えは進歩的ではない。民主主義が脅かされ、富が無駄に費やされているのは、外国で破滅的に使われるのではなく国内で生産的に使われるはずの国民の信頼と資源が、賢明ではない戦争に費やされてきたことによるものだからだ。

日本に課されている課題

ということで、外交政策に関わるワシントンの人びとの一団の中に「経済的・政治的問題の解決を図る戦争」への傾倒の雰囲気が感じられるからこそ、このようなオピニオン記事が書かれ、掲載されているのでしょう。

一方で、ハンナ氏のこうした主張はわが国の安全保障や経済の在り方にも課題を突き付けているように思います。

仮にハンナ氏のような主張が受け入れられ、米国で国民の持てる人的・物的資源を国内に投資する声が高まれば、安全保障や経済の面で日本にとってより厳しい要求が米国によって突き付けられてくることも想像できます(ホワイトハウス、国務省、国防省のそれぞれの思惑の中で、物事が劇的に変化することは考えにくい面もありますが)。

東アジアにおいて私たち日本がどのような立ち位置をとり、安全保障や外交、経済の在り方において、米、中、ロ、韓国、北朝鮮、ASEAN諸国、オーストラリア、インドなどとどう関係を築いていくことができるのか、これまでにも増した議論が求められているように思います。

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