カーン博士の国葬
パキスタンの核開発において中心的な役割を果たし、1998年に核実験を成功させたアブドゥル・カディール・カーン博士が2021年10月10日に死去しました。
カーン博士は、核の技術を北朝鮮やイランなどに拡散させたとして国際的に批判された科学者でもありました。
報道によれば、カーン博士の死を悼んでパキスタンの首都イスラマバードでは国葬が行われました。
多くの市民が参列し、「カーン博士が原爆を作ってくれたおかげで敵はパキスタンに近寄ることができなくなった」と話す小学生や、ひつぎを載せた車に近づき、「パキスタン万歳」と叫ぶ参列者の姿もあったようです。(NHK 核技術を拡散 カーン博士の国葬 パキスタン 2021年10月11日 8時44分)
パキスタンの人びとがそれほどまでにカーン博士を称賛した理由や背景はどのようなものなのでしょうか。
そこで、岩田修一郎『核拡散の論理 主権と国益をめぐる国家の攻防』(勁草書房、2010年)の中の「パキスタンの核開発と核保有」という一章を再読してみました。
以下、いくつか印象に残った部分を引用してみます(※小見出しは私が付けたもので原文にはありません)。
核開発の背景と動機
イスラム教徒とヒンズー教徒の対立
パキスタンは、イギリスによる長い植民地支配を経験した歴史をインドと共有しており、独立心と大国に対する不信感の強さにおいてもインドと共通点がある。しかし、英国領インドの時代からイスラム教徒とヒンドゥー教徒とのあいだにはきびしい対立があった。(p. 61-62)
国民統合への不安
パキスタンは日本の約二倍の国土に一億六〇〇〇万人の人口を抱え、パンジャブ人、シンド人、パシュトゥーン人など多様な民族で構成されている。民族ごとの独立意識が強く、イスラム国家のあり方に対する国民の考え方はさまざまで、イスラムの絆だけで国家をまとめることが難しかった。国民統合への不安もあって国家権力が中央に集中し、民主政治が根づきにくい国内状況にあった。(p. 62)
軍の影響力
パキスタンでは軍の影響力と存在感が非常に大きい。パキスタンには、「世界の国はすべて軍隊を持っている。パキスタンでは軍隊が国を持っている」というジョークがあるという。(p. 62)
独立と尊厳
パキスタンにとって、インドの圧力に抗して国家の独立と尊厳を維持していくことは建国時からもっとも重要な課題であった。…(中略)…「インドが核兵器の能力を持つならば、自分たちも持たねばならない」とパキスタンの人びとが考えたことは、ある意味で当然のことであった。(p. 63-64)
インドへの対抗
パキスタンの人びとには、「インドには絶対に譲歩しない」、「インドがやったら必ずやり返す」という思考と行動が定着している。インドのみが核保有国となることは、パキスタンには耐えがたいことである。(p. 64)
ナショナリスティックな民族意識
パキスタンの核保有の動機は単純明快のように見える。しかし、核保有に対するパキスタンの人びとの思いのなかには、インドとの対抗と安全保障上の必要性以外の要素も含まれていたと思われる。
経済的に貧しく教育制度も整っていなかったパキスタンには、自分たちもいつかは高度の技術段階に到達し、世界の国々と肩を並べたいという願望があった。
パキスタン政府が「核実験の実施が成功裏に実施された」と発表したとき、パキスタン国民は熱狂的に支持した。自分たちの技術水準の高さが世界に証明されたとして、パキスタン国民はナショナリスティックな誇りを感じ、溜飲が下がったのである。このように核兵器には民族意識をくすぐる奇妙な力がある。(p. 64-65)
大国不信と自主国防への願望
パキスタンの核開発の動機を強めた要素のなかには、大国に対する根深い不信感もあった。パキスタンの指導者は、自国の安全保障について外国から口を出されることを嫌がる。
核実験実施を思いとどまらせようと国際社会が圧力をかけたとき、シャリフ首相は「わが国がインドの核実験にどう対応するかについて外国の指図は受けない。国家の安全保障はわれわれが決めることだ」と述べた。
「自分の国の安全は自分で守る」という自主国防の願望を持つ国はほかにもあるが、パキスタンには信頼できる同盟国がいないことが核保有への道を選んだ理由のひとつになったと考えられる。(p. 65)
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こうして読み進めてみると、カーン博士の葬儀に多くの市民が参列し、小学生が「カーン博士が原爆を作ってくれたおかげで敵はパキスタンに近寄ることができなくなった」と話す理由や「パキスタン万歳」と叫ぶ人びとの「ナショナリスティックな誇り」の背景をつかむことができるようにも思います。
軍備管理協会(Armas Control Association)のウェブサイトによれば、パキスタンは2021年現在、165発の核弾頭を保有しているとされています(インドは156発)。