アルカイダ指導者の殺害は米国の自衛権?
バイデン大統領は2022年8月1日、国際テロ組織アルカイダの最高指導者であるザワヒリ氏をアフガニスタンのカブールでドローンを使って殺害したと発表し、演説を行いました。
それで思い出すのは、2011年にアルカイダの指導者であったオサマ・ビンラディンがパキスタンで米国の部隊によって殺害されたことです。
9・11事件を主導した「テロ組織」アアルカイダによる攻撃を武力の行使と捉え、米国とアルカイダの関係は「戦争」状態にあることから、「自衛権」のもとにアルカイダの指導者や戦闘員を殺害するのは正当化される、というのがアメリカの主張であったと認識しています。
しかしながら、これはあくまでも米国の主張であって、必ずしも国際社会において広く共有されているものではないとも思われます。
テロ対策の正当性確保の観点から
例えば、テロ対策の正当性の確保の観点からの以下のような指摘もあります。
ひとつの懸念は、以下のとおりである。すなわち、テロ事件を武力攻撃として捉え、対応を「戦争」とすれば、国連安保理の決議の有無にかかわらず、自衛権行使という名の武力行使に訴えることができる。そして、捕捉した「敵兵」を不法戦闘員として処分することが可能だということである。
これが意味することは、今後、一般論として、恣意的な対テロ行動が普遍化する恐れがあるということである。これでは、法の支配ではなく、国際的な私刑の奨励であろう。諸国が協力してテロ対策を行なう目標とは、逆方向である。
テロリストという無法者に、自己正当化の口実を与えないためにも、対処する側のわれわれは、より正当性のあるテロ対策を行なわなければならない。
出典:片山善雄/橋本靖明「テロと国際法」p. 91(『防衛研究所紀要第6巻第2号(2003年12月)所収』(こちら)
アフガニスタンやパキスタンの受け止めは?
また、今回の殺害の舞台となったアフガニスタン、2011年であればパキスタン、両国の主権が及ぶ領域内での米軍による「自衛権」に基づく作戦の遂行をどう理解したらよいのでしょうか。
国際法上の「緊急避難」に基づくやむを得ない措置として認められるものなのでしょうか。
仮に日本のどこかで米軍による同様の作戦が行われたならば、われわれ日本国民はそれを受け入れることができるでしょうか。
自由を守るための有無を言わせぬ力の行使
最後に、上記のバイデン大統領の発表(演説)の中から次の一節を紹介します。
As Commander-in-Chief, it is my solemn responsibility to make America safe in a dangerous world. The United States did not seek this war against terror. It came to us, and we answered with the same principles and resolve that have shaped us for generation upon generation: to protect the innocent, defend liberty, and we keep the light of freedom burning — a beacon for the rest of the entire world.
最高司令官として、米国を安全にすることは私に託された厳粛な責任です。米国がこの対テロ戦争を求めたのではありません。それは、われわれのもとにやって来たのです。われわれは、何世代にもわたってわれわれを形作ってきたものと同じ原則と決意でもってこの戦いに応えたのです。すなわち、罪のない人びとを守り、自由を守るということです。そして、われわれは全世界の灯台となる自由の灯りを燃やし続けるのです。
出典:Remarks by President Biden on a Successful Counterterrorism Operation in Afghanistan Aug 01, 2022 The White House
この一節に明示されているとおり、今回のバイデン大統領によるザワヒリ殺害の指示にせよ、2011年のオバマ大統領によるビンラディン殺害の指示にせよ、それは何世代にもわたって形作られてきた「原則と決意」が歴代の米国の政権によって継承されてきた中でなされたものだということです。
こうした「全世界の灯台となる自由の灯りを燃やし続ける」アメリカの「努力」によってテロは抑制され、世界の平和はかろうじて保たれているのかもしれません。
しかし、米国の歴代政権が「テロとの戦い」を上記で取り上げたように必ずしも国際社会で広く受け入れられているとは限らない主張の下で展開していることを知る時、
そして、それらが極めて強力な力の行使(軍事力とインテリジェンス)によって支えられていることを理解する時、
「日本は米国との間に自由や民主主義、法の支配の価値観を共有する」といった言葉をそう軽々に使うことはできないように思います(少なくとも私には)。
世界に自由と民主主義と平和を導くことのできる唯一無比の存在であるとする米国の「例外主義」の精神、そしてそれを支える有無を言わせぬ絶大な「力の行使」。
こうしたアメリカの姿を理解するのは私にとって極めてチャレンジングなことです。