米国のニュースメディアPolitico(ポリティコ)に2020年10月22日付で掲載されている国際関係の2人の専門家、パトリック・ポーター(バーミンガム大学)とジョシュア・シフリンソン(ボストン大学)の論考のタイトルは、
Why We Can’t Be Friends with Our Allies
Biden talks about “friends and allies” as if they’re the same thing. They aren’t.
なぜ同盟国の友人にはなれないのか
バイデンは「友人と同盟国」をまるで同じもののように語るが、そうではない
というものです。
ポーターとシフリンソンの主張は、
米国にとって同盟とは双方の利益によって成立するものであって、友情や永遠のものなどではない、
そして、
米国が同盟を管理していくには、ある種のプレッシャーや強要を同盟国に課すこともある、
というものです。
ポーターとシフリンソンは論考のなかでバイデン支持の立場であることを表明し、同盟が友情や神聖なものではないからといってトランプの外交政策の側に立つ必要はない、
と述べています。
その一方で、
同盟国を友人(friends)、同盟を友好・友情(friendship)と強調するバイデン陣営の選挙キャンペーンの主張は、「米国は常に同盟に忠実である」といった誤ったメッセージを同盟国に与えかねず、そのことは必ずしも世界に平和と安定をもたらすものではない、
と警告しています。
日本国内においては「日米同盟の深化」や「日米同盟を基軸にした」という言葉を聞く機会が多い昨今ですが、ポーターとシフリンソンが論考の中で提唱する「用心深い同盟管理の戦略(prudent alliance-management strategy)」は、日本が米国との同盟関係を「維持」し「管理」していくうえでも念頭に置くべき視点のように思います。
論考は比較的短いものですので、以下に全文を訳してみたいと思います。※小見出しは私が付けたもので英語原文にはありません。
なぜ同盟国の友人にはなれないのか バイデンは「友人と同盟国」をまるで同じもののように語るが、そうではない
トランプは同盟を取引とみなし、バイデンは友人とみなす
ドナルド・トランプとジョー・バイデンによって戦われている2020年大統領選挙では、米国の同盟国との関係について2つの異なる考え方が浮き彫りになっている。
トランプはよく知られているとおり、同盟国を取引の関係、つまり強要され、見捨てることさえも伴う当事者の都合として見ていると考えられている。
対照的に、バイデンと彼のチームは、米国の同盟国を私的な関係におくことに苦心してきた。バイデンが言うところの国家の「友人(friends)」というものだ。
カマラ・ハリスもバイデンと同様だ
バイデンと彼のアドバイザーたちは頻繁に、同盟を友好・友情と同等とみなす。バイデンは、「同盟国である友人を支持する」と約束し、トランプはヨーロッパで「友人を押しのけている」と非難し、中国に対抗するための「友人やパートナーとの統一戦線」を主張してきた。
副大統領候補のカマラ・ハリスも同様の言葉を使い、米国が「友人への誠意を尽くし、友人の支持がある限り、その友人を支持する」ことを求めている。
同盟国は友人やパートナーではない
私たち2人の筆者は、バイデンを支持し、気がかりな選挙戦において訴えかける言葉が必要なことを理解している。そうだとしても、バイデンと彼のチームは間違っている。
国家の同盟国は、私的な関係や職業的な関係において持つような「友人やパートナー」ではないのだ。同盟国を「友人」として提示することにより、バイデンのチームは米国民に害を与えることになってしまうのだ。
今日の同盟国は明日の敵、今日の敵は明日の同盟国
国際政治の競争的な世界にあっては、密接な関係の同盟国であっても異なる利益を持つ。たとえ共通の利益を持っているときでさえ、皆が同じように考えているわけではない。
さらに、米国のような大国は多様な同盟国を持つことが多く、そのような国のいくつかは互いに衝突することがある。
国際的な環境は変化するのだから、同盟国はしばしばプレッシャーをかけられ、時には捨てられることもある。今日の同盟国は明日の敵となり、今日の敵は明日の同盟国になりうるというわけだ。
米国は同盟国を友情でもって遇してきたことはない
レトリックは横に置くとして、米国は同盟国を友情でもって遇してきたことはない。
1つには、歴代の大統領は閉じられたドアの向こうで同盟国を威圧してきた。核兵器保有の追求に関して、韓国のような長期におよぶ同盟国を脅した。
同様に、ブッシュ(子)政権やオバマ政権は頻繁に同盟国に不満を表明し、米国の国益に応じるようプレッシャーをかけた。
たとえば、ロバート・ゲイツ前国防長官は、NATO加盟国を「自国の防衛において真剣かつ能力のあるパートナー」になっていないと批判した。
コリン・パウエル前国務長官は、2003年のイラク戦争に反対した国を懲罰でもって脅し、そうした国を見捨てることの可能性をほのめかした。
バラク・オバマ大統領でさえ、米国を自分たちの紛争に引きずり込む一方で、アメリカの力に「ただ乗り」しようとしているとして、ヨーロッパや中東の同盟国を非難した。
米国は友人を変えることがある
米国はパートナーである国を上記のように脅さない場合には、より大きな利益のためにしばしば「友人」を変えることがある。
米国はソ連に対抗するための連携として中華人民共和国を得るために、1979年に台湾との連携を取り消した。
同様に、米国の指導者たちはクルド人たちとの協調を解消することに罪の意識を持たなかった。
念のために言っておくが、1945年以前、ドイツと日本は米国の「友人」などではなかった。
友情のレトリックは米国の外交政策の現実をわかりにくくさせる
同盟を、誤って友情と同等に見なすことで、バイデンと彼のチームは深刻なリスクを冒すことになる。アメリカ国民にとっては、友情のレトリックは米国の外交政策の現実をわかりにくくさせるものだ。
政府への国民の信頼の回復を訴える選挙キャンペーンにとって、これは深刻な問題であり、外交政策の議論の質を上げる機会のないままにバイデンが大統領に選出されるならば、国民からの反発のリスクを冒すことになる。
間違った期待感を同盟国の間に生み出す可能性
同じく重要なのは、その手法が国際的な安定を損なうリスクを冒すことだ。米国の関与についての誤った信頼を米国のパートナーの国々に与えることになるからだ。
トランプ政権による脅しの4年間の後、カナダをはじめドイツや韓国に至るまで、アメリカの信頼性を懸念して軌道の修正を模索している。
しかし、「友人」への忠実さを誓うことで、バイデンの手法は(トランプのそれとは)反対の方向へと行き過ぎてしまうリスクを冒すことになる。
無条件でのワシントンとの関係の回復という間違った期待感を同盟国の間に生み出す可能性がある。同盟国が米国の支持を当然と考え、思慮なく行動することにさえなりかねない。
同盟は共通の利益によるもの、永遠でも神聖なものでもない
そうではなく、地政学的な変化の時代にあって、よりしっかりとした手法とは、同盟が共通の利益によるものであって永遠でも神聖なものでもないという現実を認めることだ。
この点を理解するために、トランプの外交政策を支持する必要はない。
結局のところ、アメリカの同盟国は、愚かなことではあるが、アメリカがバイデン大統領のもとで国益を友情にとって代えると期待することになるだろう。
用心深い同盟管理の戦略を採用すべき
同様に、アメリカ国民は、同盟国が自らの利益を一貫してワシントンに合わせてくれると期待すべきでない。
基本的な目標としては、用心深い同盟管理の戦略を採用すべきだ。同盟国を脅すことはすぐさま避けるにしても、友情とは異なり、強要、プレッシャー、および見捨てるという脅しが、しばしば法貨になる(強制的な通用力を持つ)ことを認識しておくことだ。
政策決定者たちがこのやっかいな現実を踏まえて行動して初めて、より平和な世界としっかりとしたアメリカの政策が期待できる。
出典:POLITICO Why We Can’t Be Friends with Our Allies Biden talks about “friends and allies” as if they’re the same thing. They aren’t. By PATRICK PORTER and JOSHUA SHIFRINSON 10/22/2020